家族信託で備える認知症と事業承継

「最近、物忘れが増えてきた」「自分が倒れたら、契約書に判子も押せなくなるのではないか」。会社を一代で築いてこられた経営者の方ほど、こうした不安をひそかに抱えていらっしゃるのではないでしょうか。

経営者が認知症などで判断能力を失うと、株主としての議決権を行使できなくなり、会社の重要な意思決定が止まってしまう恐れがあります。この「経営の空白」を、元気なうちに備える選択肢のひとつが家族信託(民事信託)です。家族信託 事業承継という組み合わせは、認知症リスクへの備えとして検討する価値があります。

ただし、家族信託は万能ではありません。議決権の扱い、税務上の限界、そして後継者がいない場合のM&A(会社や事業の譲渡)という出口まで含めて、正しく理解したうえで判断したいところです。この記事では、譲り受ける側(買い手)の視点も交えながら、経営者が今すぐ考えておきたい論点を整理します。

認知症リスクと事業承継のイメージ図

認知症で会社が止まる理由

事業承継を語る前に、まず押さえておきたい現実があります。経営者の高齢化です。日本の社長の平均年齢は上昇を続け、後継者問題は多くの中小企業に共通する課題となっています。

帝国データバンクの調査によると、全国企業の後継者不在率は52.1%にのぼります(出典:帝国データバンク「全国『後継者不在率』動向調査(2024年)」調査ページ)。実に企業の半数が、次の世代へのバトンタッチに不安を抱えている計算です。皆さまの会社では、いかがでしょうか。なお、同社の2025年調査では50.1%へとやや低下しています(2025年11月公表)が、依然として企業の半数が後継者を確保できていない状況に変わりはありません。

判断能力を失うと議決権が動かせない

経営者が認知症などで意思能力を失うと、何が起きるのか。最も深刻なのは、株主総会で議決権を行使できなくなることです。オーナー社長が株式の大半を持っている会社では、その一票が止まると会社の意思決定そのものが凍りつきます。

具体的には、次のような場面で支障が生じます。重要な契約への署名・押印が法的に有効と認められなくなる。金融機関との融資契約の更新が難しくなる。代表取締役を交代させたくても、株主総会の決議が進まない。「判子が押せない」という素朴なイメージは、会社経営においては想像以上に重い意味を持ちます。

参考
経営者の高齢化がなぜ「今すぐ動くべき理由」になるのかは、経営者の高齢化60.7歳、今すぐ動くべき理由でも数値を交えて解説しています。

後継者がいない会社が半数を超える

同じ帝国データバンクの調査では、後継者難を背景とした倒産が2024年1〜10月で455件発生したと報告されています(出典:帝国データバンク「全国『後継者不在率』動向調査(2024年)」)。会社が黒字であっても、承継の準備ができていないために事業が続かなくなる。これは決して他人事ではありません。

参考
後継者不在という課題への向き合い方は、後継者不在率50.1%の現実と3つの選択肢もあわせてご覧ください。
📋 この章のまとめ
・後継者不在率は52.1%。会社の半数が承継に不安を抱える
・経営者が判断能力を失うと、議決権・契約・融資・代表交代が止まる
・黒字でも承継準備の遅れが倒産につながるケースがある

家族信託という選択肢

家族信託の仕組みを示すイラスト

では、認知症による経営停止に備える手段として注目される家族信託とは、いったいどんな仕組みなのでしょうか。言葉は聞いたことがあっても、中身はよくわからないという方が大半だと思います。

三者の役割で財産を管理する仕組み

家族信託(民事信託)とは、財産を持つ人が、信頼できる家族に財産の管理・処分を任せる契約の仕組みです。法的な根拠は信託法(平成18年法律第108号)にあります(出典:e-Gov法令検索「信託法」法令ページ)。信託銀行が扱う商事信託と異なり、家族の間で組成するため「家族信託」と通称されます。

登場するのは三者です。委託者(=財産を預ける人。ここでは現オーナー)、受託者(=財産を管理する人。多くは後継者である子)、そして受益者(=財産から生じる利益を受け取る人)。この三つの役割を整理すると、家族信託の全体像が見えてきます。

事業承継で用いる基本形では、現オーナーが委託者となり、自社株式を信託財産として受託者である子に管理を委ねます。受益者は引き続きオーナー本人とするのが一般的です。委託者と受益者が同じこの形を「自益信託」と呼びます。

📌 ポイント
家族信託は「所有権」を「管理する権利」と「利益を受け取る権利」に分けられる仕組みです。株式の名義を後継者に移しても、配当などの利益はオーナーが受け取り続ける設計ができます。

成年後見制度では何ができないのか

「認知症対策なら成年後見があるのでは」とお考えの方も多いと思います。ここに大きな違いがあります。成年後見制度は、本人が判断能力を失ったあとに家庭裁判所を通じて開始される制度です。一方の家族信託は、本人が元気なうちに契約で備える点が根本的に異なります。

成年後見では、後見人は本人の財産を守ることが最優先となります。そのため、株式の生前贈与や柔軟な財産の組み替えといった、承継に向けた前向きな動きは原則として難しくなります。柔軟な財産管理を望むなら、判断能力があるうちの家族信託が選択肢になります。

📋 この章のまとめ
・家族信託は委託者・受託者・受益者の三者で成り立つ
・自益信託なら、株式の名義を移しても利益はオーナーに残る
・成年後見は判断能力喪失後の制度。前向きな承継対策は元気なうちの信託で

生前贈与や遺言との違い

生前贈与・遺言と家族信託の違いを示すイラスト

株式を後継者へ渡す方法は、家族信託だけではありません。従来からある生前贈与・遺言・売却と何が違うのか。ここを整理しないと、自社に合う手段は選べません。

贈与税の壁と経営権の喪失

生前贈与で自社株を一度に渡すと、株式の評価額によっては多額の贈与税が発生する場合があります。また、株式を売却すれば経営権も配当を受ける権利も一度に後継者へ移ってしまいます。「まだ自分が経営を見ていたい」という段階では、踏み切りにくい選択です。

遺言は認知症のあとに作れない

遺言はどうでしょうか。遺言は本人の死後にしか効力が生じず、生前の認知症リスクには対応できません。さらに、遺言を作成するにも本人の判断能力が必要です。物忘れが進んでからでは、遺言そのものが作れなくなる恐れがあります。

家族信託は、これらの手段を置き換えるものではなく、すきまを埋める選択肢として位置づけるのが現実的です。生前の認知症リスクに備えつつ、委託者の死後の受益権の行き先まで契約で定められる(遺言代用機能=遺言の代わりとなる機能)点が特徴です。

参考
信託と並んで検討される株式移転の手法については、事業承継の持株会社スキーム 株価を下げる仕組みで比較しています。
📋 この章のまとめ
・生前贈与は贈与税、売却は経営権喪失というハードルがある
・遺言は死後にしか効かず、認知症後は作成できない
・家族信託は他の手段を補い、生前から死後まで一貫して備えられる

経営権を手放さず続ける

家族信託で多くの経営者が気にされるのが、「株式を信託したら、もう経営に口を出せなくなるのか」という点です。ここは丁寧に理解しておきたいところです。

議決権行使指図権という仕組み

信託では、株式の名義が受託者(後継者)に移るため、原則として受託者が株主として議決権を行使します。ただし、信託契約に「議決権行使指図権」(受託者の議決権の使い方に指示を出す権利)を定めることで、受託者が議決権を使う際に、現オーナーの指示に従う設計にできます。

この指図権を使えば、名義は後継者に移しても、実質的な経営判断はオーナーが握り続けられます。後継者の資質を見極めながら、段階的に実権を渡していく。そんな柔軟な承継が描けるのが家族信託の利点です。ただし、指図権を持つオーナー自身が判断能力を失った場合にどうするかも、契約であらかじめ決めておくことが欠かせません。

⚠️ 注意
「信託で経営権を移転できる」という説明には注意が必要です。信託で動かせるのは株式の名義と議決権の行使です。代表取締役の選任・解任や業務執行権は、必要に応じた株主総会・取締役会の決議によるもので、信託が直接付与するものではありません。

自益信託なら設定時に贈与税はかからない

税金はどうなるのか。委託者と受益者が同じ自益信託の場合、信託を設定した時点では財産から生じる利益の移転がないため、原則として贈与税は課税されません(相続税法第9条の2以下)。形式的に株式の名義は移っても、経済的な利益はオーナーに残るからです。

ただし、ここで「家族信託は節税になる」と早合点してはいけません。受益権がオーナーから他者へ移った時点では、贈与税や相続税の対象となります。家族信託そのものに節税効果は原則なく、税負担は受益権が誰に帰属するかで判断されます。個別の試算は税理士への確認が欠かせません。

参考
贈与税の基本的な考え方は、事業承継の贈与税の計算方法と節税3ステップで詳しく解説しています。
📋 この章のまとめ
・指図権を定めれば、名義を移しても実質的な経営判断は維持できる
・信託で動かせるのは議決権まで。代表者の選解任は決議が必要
・自益信託の設定時は原則非課税。ただし節税効果は別問題

「承継の方法を悩む前に、グループ入りという選択肢も知っておきたい」——その段階から、ご相談ください。

私たち4040 VISION(株式会社SDアドバイザーズが運営)は、M&A仲介・アドバイザリー会社ではなく、自社グループに迎え入れる譲渡先として活動しています。譲渡をご検討中の経営者の方からのご相談をお待ちしています。

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知らずに組むと失敗する

家族信託の注意点・失敗事例のイラスト

ここまで家族信託の利点を見てきました。しかし、利点だけを見て組成すると、思わぬ落とし穴にはまります。経営者が必ず押さえておきたい注意点を整理します。

事業承継税制とは併用できない

意外に知られていないのが、この点です。家族信託と事業承継税制(非上場株式等の贈与税・相続税の納税猶予制度)の関係には注意が要ります。この納税猶予制度は、後継者本人が直接株式を保有していることが前提とされており、信託受益権の形では原則として適用対象外と解されています。そのため、信託を組むと税制の適用要件から外れる可能性があります。実際の取り扱いは中小企業庁のガイドラインや税理士へご確認ください。

つまり、認知症リスクへの備えを取るか、納税猶予による税負担の軽減を取るか。どちらが自社に有利かは、株式評価額・後継者の状況・健康状態によって変わります。手元でできるのは、現時点の自社株評価額をおおまかに把握しておくこと。そのうえで税理士に両者の比較試算を依頼するのが、失敗を避ける第一歩です。

遺留分と経営者保証は残る

家族信託を組んでも、解決しない問題があります。ひとつは遺留分(=法定相続人に保障された最低限の取り分)です。信託の設計が他の相続人の遺留分を侵害すると見なされると、争いの火種になりかねません。

もうひとつが経営者保証(会社の借入に対する個人の連帯保証)です。株式を信託しても、オーナー個人が背負った連帯保証はそのまま残ります。承継や譲渡を考えるなら、金融機関との保証解除の交渉も別途必要になります。信託は財産管理の枠組みであり、身上監護(介護・医療の意思決定)も信託では行えません。

⚠️ 注意
家族信託を扱える専門家はまだ多くありません。信託契約は信託法の知識を要し、設計に不備があると契約が無効となる恐れもあります。家族信託に詳しい弁護士・司法書士・税理士の関与を強くおすすめします。進め方としては、まず日頃の財務を把握している顧問税理士に相談し、必要に応じて家族信託に詳しい司法書士・弁護士を紹介してもらうのが一般的です。
📋 この章のまとめ
・家族信託と事業承継税制は原則併用不可。比較試算が必須
・遺留分への配慮と、経営者保証の解除交渉は別途必要
・信託に精通した専門家を選ぶことが成否を分ける

家族信託とM&Aの出口

ここからが、多くの記事が触れていない視点です。後継者が見つからない、あるいは子に継ぐ意思がない。そんなとき、家族信託はM&Aという出口とどう関わるのでしょうか。

認知症に備えながら譲渡先を探す

家族信託で認知症による経営停止のリスクをヘッジしながら、適切なタイミングで会社や事業を第三者へ譲るM&Aを選択肢に残す。この組み合わせは、後継者不在の経営者にとって現実的な備えになります。

厚生労働省の最新推計では、2025年の認知症高齢者は約471.6万人、高齢者の有病率は12.9%に達するとされます(出典:厚生労働省「認知症及び軽度認知障害の有病率調査」推計資料)。経営者だけが例外ではありません。判断能力があるうちに信託で「会社が止まらない仕組み」を整え、並行して譲渡先を探す。この二段構えが、急な健康悪化にも会社を守る構造になります。

買い手から見た株式信託の確認点

では、会社を譲り受ける側(買い手)は、信託が設定された株式をどう見るのでしょうか。私たちのように事業を譲り受ける立場からは、株式に信託が設定されていると、取得にあたって確認すべき事項が増えます。

信託契約の内容、議決権行使指図権を誰が持つか、受益権を誰にどう移すか。これらが整理されていないと、譲渡の手続きが複雑になります。逆に言えば、信託を組む段階で「将来M&Aで譲る可能性」を見据えて設計しておけば、いざというとき譲渡先との話がスムーズに進みます。自社だけでは伸ばしきれない事業を、より活かせる相手に託すための準備にもなるわけです。

✅ 実践ポイント
家族信託を組むなら、契約書に「将来の受益権移転・信託終了の手続き」を明記しておきましょう。後継者承継とM&A譲渡の両方を選択肢として残せます。譲渡を見据える場合、信託設計の前に譲渡先候補と方向性を相談しておくと、設計の手戻りを防げます。
📋 この章のまとめ
・家族信託で認知症に備えつつ、M&A譲渡を出口に残せる
・2025年の認知症高齢者は約471.6万人(有病率12.9%)。経営者も例外ではない
・将来の譲渡を見据えた信託設計が、スムーズな承継につながる

費用と手続きの流れ

家族信託の費用と手続きの流れのイラスト

最後に、実際に家族信託を組むにはどんな流れと費用がかかるのか。おおよその見通しを持っておきましょう。

設定までの基本ステップ

家族信託の組成は、おおむね次の順序で進みます。信託の目的と財産・受益者を決め、専門家とともに信託契約書を作成し、公正証書化します。そのうえで、自社株式を信託財産とした旨を株主名簿に記載します。譲渡制限株式の場合は、会社の承認手続きも必要です。

  • 1

    信託の目的・対象財産・受益者・受託者を決める

  • 2

    専門家と信託契約書を作成し、公正証書化する

  • 3

    株式が信託財産である旨を株主名簿に記載する(譲渡制限株式は会社の承認)

気になる費用面についても触れておきます。専門家へ支払う費用は、信託財産の内容・自社株の評価額・契約の複雑さによって幅がありますが、一般には数十万円程度からが目安とされます。これに加えて、信託契約書を公正証書化する際の公証役場の手数料や、不動産を信託財産に含める場合の登記費用などが別途必要となる場合もあります。正確な金額は、依頼する専門家に事前の見積もりとして確認しておくと安心です。

なお、ここまでは一般的な進め方です。当社(SDアドバイザーズ)が譲渡先としてどのように会社をお引き受けするかは当社の事業承継の流れで、実際の取り組みは当社の実績・事例紹介でご覧いただけます(いずれも当社グループのご紹介です)。

元気な今しか備えられない

家族信託の最大の注意点は、タイミングです。信託契約は、委託者であるオーナーに判断能力がある状態でしか結べません。物忘れが増えてきた段階は、すでにタイムリミットが近づいているサインとも言えます。

「まだ大丈夫」と先送りしているうちに、契約を結ぶ前提そのものが失われてしまう。これが家族信託で最も多い後悔です。少しでも気になる兆候があるなら、元気な今こそ動くべき時期です。まずは家族や顧問税理士に「家族信託を検討したい」と声をかけてみることが、最初の一歩になります。

📌 ポイント
家族信託は「認知症になってから」では組めません。判断能力があるうちに動くことが、すべての前提です。費用や手続きの細かさより先に、まず「いつ動くか」を決めることが何より大切です。
📋 この章のまとめ
・組成は「目的設定→契約書作成・公正証書化→株主名簿記載」の流れ
・信託契約は判断能力があるうちしか結べない
・「物忘れが増えてきた」今が、行動のタイムリミット

会社を託す相手を選ぶ、その前のお話から。

私たちは仲介者ではなく、お迎えする側です。経営者様のお考えと、私たちのグループとの相性を、一緒にじっくり見極める時間を大切にしています。一人で抱え込まず、まず話を聞かせていただくだけでも、見えてくるものがあります。

「会社の未来を、誰に託すか」をお考えの経営者の方へ。

私たち4040 VISIONは、M&A仲介・アドバイザリー会社ではありません。事業を譲り受ける側として、ともにグループの未来を築く経営者の方をお迎えしています。

「どのような会社にバトンを渡すべきか」を検討されている段階でも、一度お話を聞かせてください。譲渡を急かすことはいたしません。

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📚 参考文献・出典
・帝国データバンク「全国『後継者不在率』動向調査(2024年)」https://www.tdb.co.jp/report/economic/succession2024/
・e-Gov法令検索「信託法」(平成18年法律第108号)https://laws.e-gov.go.jp/law/418AC0000000108
・厚生労働省「認知症及び軽度認知障害の有病率調査」(2024年公表・2025年の認知症高齢者数 約471.6万人)https://www.mhlw.go.jp/content/001279920.pdf
・相続税法第9条の2以下(信託に関する課税の特例)

監修:株式会社SDアドバイザーズ 事業承継グループ
私たちSDアドバイザーズ事業承継グループは、外部の企業にM&Aをご支援するコンサルタントではありません。
自社自身が事業承継・M&Aを積極的に活用し、グループ企業を拡大していく譲渡先として活動しています(4040 VISIONは当社が運営するブランドです)。「40人の社員がいる会社を40社つくる」というビジョンのもと、実際に譲渡企業の経営者様と向き合い、ともにグループの未来を築いてきた経験と実績が、このコラムの情報の裏付けとなっています。

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代表取締役 高木栄児